雑踏の中で

東大生が気まぐれで日常を綴ります。

偽善ってなんだよ

あまり過激な意見はネットで言いたくないのですが。。。。

 

 

 

 

小さい頃からどうしても全く好きになれない言葉があります。

「偽善」ってやつです。

 

 

 

 

正直、言うのも嫌なくらい嫌いです。笑

 

 

てことで、この記事では「偽善」という言葉について思うところをつらつらと、責任とか何も考えずに垂れ流していきます。よろしくお願いいたします。(ゆうて短いはずです)

 

 

もう今日以降、この言葉とはおさらばしたいものです。。

 

 

 

まず、論じる前に定義の確認から。

 

ぎ‐ぜん【偽善】 の意味

  1. うわべをいかにも善人らしく見せかけること。また、そういう行為。「偽善に満ちた社会」⇔偽悪

 

goo国語辞書より。

 

偽善(ぎぜん)とは、善良であると偽ることをいう。また、これを行う者は偽善者とよばれる。外面的には善い行為に見えても、それが本心や良心からではなく、虚栄心や利己心などから行われる事を指している。腹黒いゴマすり食わせ物という表現もある。 また、和英辞書では偽君子(snob)も hypocrite とされている場合がある。

 

日本語における用法[編集]

日本語における偽善の意味として、「善を掲げつつ、その善行を行わない」という上記英語のhypocrisyの訳語のほかに、「ある善行が“真の善”ではない」という用法がある。

例えばある人がアフリカにおける児童の貧困を望ましくないと主張し、お金を寄付したとする。この場合、主張と行為が一致しており、英語における“hypocrisy”には当たらないが日本語における偽善に当てはまる可能性がある。その根拠として以下の点が挙げられる。

  1. 動機の不純さ
    ある善行の背景に“善意”以外の要素がある場合、その行為は真の善ではないとするもの。その要素としては「自己満足」、他者によく見られたいという「虚栄・利己心」がよく指摘される。
  2. 行為の欠点
    1.以外にも「お金を寄付したとしてもそれで助かるのは一時的なことであり、根本的な貧困問題を解決していない。」という主張や「寄付や援助で支援される子供は全体の一部であり、不公平が生じる。」など行為そのものに欠点が存在するため、そのような善行は偽であるとするもの。

また、たとえある行為が上記の意味で偽善であるにしてもそれを評価するかどうかには様々な意見がある(やらない善よりやる偽善)。

 

wikipediaより。

 

 

 

 

 

ということで、僕が批判したい「偽善」は、「ある善行が”真の善行”ではない」という方ですね。

 

 

”真の善行”って何?

 

 

素直に思うのは、「え、何この汚い日本語。形式だけでも善なんだから偽なんてつける必要あんの?普通に善でいいじゃん。なんなんこの誰も得しない日本語。そしてなんでこの単語をわざわざ使うんだよ。細かいことなんてあんまり気にしないでいいじゃん。。」って感じ。

 

 

 

なんか、人に対してする「いいこと」に本当も嘘も無い気がするんですけど。。。

 

 

自分だけでしょうかね。「やらない偽善よりやる偽善」みたいな言葉ありますけど、なんでわざわざ偽をつけるんだと。いらんくない?普通に。

 

 

うーん。。なーんか、いやーな言葉だなあと。1文字でベクトルが一気に変わってきますもんね。マイナスをかけるような感じですよ本当に。

 

 

 

良い行いを素直に称えられる人間になりたいです。どんな目的があっても。それがバレないように少しでも何かしてるんなら別に良くないですか。

 

 

 

 

んーこの言葉は一生受け入れられないかもなあ。

 

 

 

東日本大震災の(一応)被災者なんですけど、とりあえずなんかしてくれた人には心から感謝しているし。嬉しいし。それだけで十分ですよ。

 

マジで。

 

与太話でした。

 

 

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